『いのうえ』の歴史は古く、始まりは文政11年(1828年)にまでさかのぼります。
初代井上初次が久留米(現福岡県久留米市)にて、かんざし、キセルの製造・販売を
始めたの がその始まりでした。創業当時からその細工の丁寧さ、表現力の豊かさには
定評があり、何よりお客様の事を第一に考えるその仕事ぶりで高い評価を受けてきました。
その後、本拠地を福岡市の川端に移し、現在の『いのうえ』の基礎を築いていくことに
なるのですが、その背景には、ちょっとしたエピソードがあるのです。
『いのうえ』が現在のように宝石や指輪などの装飾品を本格的に手がけるきっかけが訪れたのは、5代目井上恵二が社長を務めた、戦後しばらくしてからの事でした。
当時、福岡の板付基地(現福岡空港)にはまだアメリカ空軍が駐留しており、数多くのアメリカ兵が基地内で暮らしていました。ひょんな事から一人のアメリカ兵を紹介された恵二は、そのアメリカ兵から結婚指輪の制作を依頼されます。しかし、戦後間もない日本では金や銀などの貴金属はとても稀少で、簡単に入手できるものではありませんでした。
それを聞いたアメリカ兵は、自分のベルトのバックルや愛用していた金のライターを差し出したのでした。
これに感動した恵二は、遠い異国の地で結ばれる二人が幸せになれるように、心を込めて結婚指輪を作り上げます。その繊細な細工と美しい造形は、たちまちアメリカ兵の間で評判となり、恵二の元に次々と指輪の制作依頼が舞い込んで来るようになったのでした。
こうして恵二は、近代ジュエリーの制作・加工技術に磨きをかけ、いつしか「職人」と呼ばれるまでに成長していったのです。数多くの貴金属や宝石を手掛ける中、恵二が最も心を奪われたのは、紛れもない、ダイヤモンドでした。どの宝石よりも硬く、透明で、神秘的な輝きを放つダイヤモンドの魅力に、恵二は次第に夢中になっていきます。
その後姿を見て育った6代目井上健一は、ダイヤモンドをもっと深く理解し、その魅力を最大限に引き出していくことに全力を注ごうと決心します。
大学卒業後、当時海外旅行も珍しかった中、アメリカへ単身渡米。ダイアモンドグレーディングの世界標準である"4C"考案したGIAの本場で猛勉強し、『米国宝石学会公認鑑定士』を取得しました。
日本へ帰国後、アメリカで学んだ宝石の知識、ビジネスのノウハウ、グレーディング・鑑別技術を元に国際的ネットワーを構築、『高品質しかも低価格』の宝石・時計を販売する専門店として広く全国で認知されるようになりました。
ジュエラー「いのうえ」は、福岡で生まれ、長い歴史と信用を脈々と受け継ぎ、
宝飾品・高級時計の専門店として高い信頼を受けています。
と申しましても、「いのうえ」は従来の単なる専門店にとどまるものではありません。
国際軸で考え、行動する。世界を結ぶ海外ネットワーク。
宝飾品・高級時計の生産地や情報の中心地と「いのうえ」を結ぶネットワークは、
それぞれの情報をリアルタイムで交換し、円高にも素早く対応して、売れ筋商品の仕入れチャンスも販売チャンスも逃しません。
独自の海外・国内のネットワークによって、品質特性と価格とで消費者の満足を得られる
パフォーマンス・バイ・コストでも、かなりの自信を持つにいたりました。
「いのうえ」のお客様には、必ず選任のスタッフがご対応させていただいております。
中には、お父様・お母様、お子様、そしてお孫様、と三世代に渡って同じ販売員が担当させていただいているお客様もいらっしゃいます。
世代を超えてお付き合いいただき、その方に最も適したジュエリーをご提案できる専門家、「かかりつけの宝石店」として、豊富な商品数と魅力的な価格の中から、
高品質・納得価格のジュエリーや時計を真心と共にお届けしています。
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専務取締役 井上 晃一
国内最大手の宝飾商社在職中に世界最大のスイス・バーゼル国際見本市他で買付けを担当し、世界の宝飾品を国内に紹介。また、数々の国内トップクラスの宝飾品の展示会を企画する。…
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代表取締役会長 井上 健一
宝石・時計の買付けは世界中に及び、なかでもアントワープへの買付けは数十回を超える。企業家の優れた実績と精神の範として『アントレプレナー大賞奨励賞』をニュービジネス協会より受賞…